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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)10429号 判決

原告(反訴被告) 東京医療生活協同組合

右代表者組合長理事 田中修吾

右訴訟代理人弁護士 葉山岳夫

同 有賀信勇

同 長谷川幸雄

被告(反訴原告) 甲野花子

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 井上庸一

同 冨永敏文

主文

一  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)甲野及び同乙山との間の各雇用契約が存在しないことを確認する。

二  被告(反訴原告)甲野及び同乙山の反訴請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じて被告(反訴原告)らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告(反訴被告)の本訴請求

主文一項と同旨。

二  被告(反訴被告)らの反訴請求

1  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)甲野に対し、金三二二六万一三七六円及び平成元年一一月から毎月二五日限り金二七万八一一一円を支払え。

2  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)乙山に対し、金二八七二万二九三〇円及び平成元年一一月から毎月二五日限り金二七万〇三九九円を支払え。

第二事案の概要

一  当事者

原告(反訴被告。以下「原告」という。)は、協同互助の生活協同体として組合員の協力によって、組合員の生活に重要な医療保健衛生に関する施設を設置し、これを協同利用することを主たる目的として創立された生活協同組合であり、中野総合病院を開設経営しているほか、伊豆長岡に長岡温泉病院を有している。

被告(反訴原告。以下「被告」という。)甲野は、昭和四七年一一月一日中野総合病院の職員(衛生検査技師)として原告に採用された者である。

被告乙山は、同五〇年五月二〇日同病院の職員(看護婦)として原告に採用された者である。

(争いのない事実)

二  被告甲野の懲戒解雇に至る経緯

1  被告甲野は、原告に採用された後、中野総合病院の中央検査室において検査技師として勤務し、血液、脳波、心電図の検査業務に従事していたが、昭和四九年三月ころから頸、肩の凝りや痛みを感じるようになり、同年四月同病院の医師の診察を受けたところ頸肩腕症候群(以下「頸肩腕症」という。)と診断された。被告甲野は、右頸肩腕症の症状悪化により、同年六月二四日から七月一日までの間入院し、同年一〇月から休業した後、主治医との相談に基づき、原告と合意のうえで、翌五〇年七月二九日から次のとおり、いわゆるリハビリテーション勤務を行い、出勤日数を段階的に増加させていった。

(1) 同五〇年七月二九日から同年一〇月三一日まで 週二日の通勤訓練(午前九時に出勤し一二時ころまで職場にいた後、帰宅するというもの)

(2) 同五〇年一一月一日から翌五一年三月三一日まで 週二日の半日勤務

(3) 同五一年四月一日から同年五月三一日まで 週三日の半日勤務

(4) 同年六月一日から同年八月三一日まで 週二日の半日勤務

(5) 同年九月一日から同年一一月三〇日まで 週三日の半日勤務

(6) 同年一二月一日から翌五二年三月三一日まで 週四日の半日勤務

(7) 同五二年四月一日から同年八月二一日まで 週五日の半日勤務

(8) 同年八月二二日から同五五年一〇月二六日まで 週四日の半日勤務

と週一日午後四時までの勤務

(9) 同五五年一〇月二七日から同五六年四月一四日(解雇)まで 週五日の半日勤務

被告甲野は、右リハビリテーション勤務(通勤訓練を除く。)中、心電図の整理、一日一、二名の心電図や脳波の検査に従事した。

(争いのない事実)

2  被告甲野は、頸肩腕症の発症以来、これを職業病として認めるよう原告に強く働きかけていたが、昭和五〇年一月ころ、被告甲野の夫である甲野太郎(以下「太郎」という。)をはじめとする中野総合病院の外部者約二〇名と共に「中野総合病院の職業病を斗う会」(以下「斗う会」という。)を結成し、その名称のもとに行動するようになった。

原告は、同五〇年四月被告甲野ら斗う会との間で、被告甲野の頸肩腕症の業務起因性を認めること等を内容とする協定(以下「本件協定」という。)を締結した。なお、中野労働基準監督署は同年七月一八日被告甲野の頸肩腕症の業務起因性を認めている。

(争いのない事実)

3  被告甲野の主治医であった中野総合病院の池澤康郎医師は、昭和五六年三月五日、被告甲野の現在の症状等に関する原告からの照会に対し、同人の頸肩腕症の症状は同年一月受診の時点でほぼ固定し特段の後遺症状は認められないので、同人に対しこれ以上の診療を継続して行う必要は認められず、同人は通常の検査室業務に復帰できると考える旨を回答した。

そこで、原告は、被告甲野に対し、同年三月一七日、同年四月一日をもって中野総合病院中央検査室脳波室心電図助手として通常勤務に就くべき旨を決定したことを通知し、同年三月二八日、右勤務に就くことを命じる旨の業務命令を発したが、被告甲野は、右命令を拒否して、通常勤務に就かなかった。

(争いのない事実)

4  原告は、同年四月一四日、(1)右通常勤務命令に違反したこと、(2)理事等に暴行脅迫を加えて、その業務を妨害したこと等の事由があるとして被告甲野を懲戒解雇したが、同被告は右解雇が無効であるとして原告との間に雇用関係があると主張している。

(争いのない事実)

三  被告乙山の懲戒解雇に至る経緯

1  被告乙山は、原告に採用された後中野総合病院で看護婦として勤務していたが、昭和五一年九月ころから腰の痛みを感じるようになり、同年一〇月二〇日に同病院で診察を受けたところ、腰痛症と診断され、同年一一月二二日から長岡温泉病院に入院して治療を受けていた。その後、同五二年七月下旬ころから一時は原告との連絡が途絶える状態となったが、同年一〇月一日中野総合病院に来院し、同月一一日から事務員として総務課で勤務を再開した。

勤務再開後同被告は、半日のリハビリテーション勤務を行い、総務課を経て用度施設課に勤務していたが、同五四年一〇月三〇日事務職員がスチール製ロッカーの上の荷物を取ろうとしたところ、誤って一・八メートルの高さからレントゲンフィルムの収納箱を落下させ、右の箱が自席に座っていた同被告の頭部を直撃し、そのため同被告は頸椎捻挫の傷害を負った。その後同被告は、右頸椎捻挫の症状が悪化した等と主張して、同五五年六月から勤務に就かなくなった。

(争いのない事実)

2  原告は、昭和五一年一二月被告乙山の腰痛症について本件協定に準じて取り扱う旨決定した。なお、頸椎捻挫については、同五五年六月中野労働基準監督署から労災認定を受けている。

(争いのない事実)

3  被告乙山の主治医であった中野総合病院の池澤康郎医師は、昭和五六年三月五日、被告乙山の現在の症状等に関する原告からの照会に対し、同人の頸椎捻挫及び腰痛症の症状は同五六年一月下旬の時点でほぼ固定しており、特段の後遺症状は認められず、同人は、通常の事務労働に復帰できると考える旨を回答した。

そこで、原告は、被告乙山に対し、同五六年四月七日付けで、同月二〇日をもって中野総合病院用度施設課雑務係として通常勤務に就くべき旨の業務命令を発したが、被告乙山は、右命令を拒否して通常勤務に就かなかった。

(争いのない事実)

4  原告は、同年四月二五日、(1)右通常勤務命令に違反したこと、(2)理事等に暴行脅迫を加えて、その業務を妨害したこと等の事由があるとして被告乙山を懲戒解雇したが、同人は右解雇が無効であるとして原告との間に雇用関係があると主張している。

(争いのない事実)

四  請求

以上のような事実関係のもとで、原告は、被告両名に対する各懲戒解雇が有効であるとして、原告と被告両名との間に雇用関係が存在しないことの確認を求める(本訴請求)。

これに対し、被告両名は、右各解雇は無効であるとして、右各解雇の後である昭和五六年一〇月から平成元年一〇月分までの未払賃金、賞与(金額は別紙一、二記載のとおり)の合計額及び平成元年一一月以降毎月二五日限り賃金の支払を求める(反訴請求)。

五  争点

本件の争点は、概括的に言えば、被告甲野及び乙山に対する各懲戒解雇が有効であるか否かに尽きるが、具体的には、次の三点が争われている。

まず第一は、解雇の有効要件としての解雇事由の存否である。原告は通常勤務命令違反と業務妨害行為等の二つの事由を主張しているが、このうち前者については、命令自体の効力は別として、これに従わなかったという事実関係は争いがなく、後者の行為の存否のみが争点となっている。

第二に、労働基準法一九条が業務上の疾病又は負傷により療養のため休業する期間中等は通常解雇、懲戒解雇を問わず解雇を制限していることから、各被告の疾病が業務上の疾病と認められるか、認められるとした場合、右疾病が勤務可能な程度に治癒していたか、この二点が争われている。もっとも、このうち前者については、原告は前記のとおり従前業務起因性を否定していなかった経緯から積極的には争っていないが、必ずしも本訴においてこれを認めているわけではない。また、後者の治癒の有無は、原告主張の通常勤務命令自体の効力を左右するものであり、その意味からも本件の争点である。

第三に、被告らは、解雇権の濫用の主張をしており、これも解雇の効力を判断するうえで一つの争点を形成する。

これらの争点に関する当事者双方の主張は、次のとおりである。

(懲戒解雇事由の存否について)

1 原告の主張

被告両名は、昭和五五年一〇月から解雇に至るまでの間、次のとおり原告の業務妨害行為等を行っている。

(一) 理事、院長・副組合長、副院長らに対し、暴行脅迫を加えてその業務を妨害した。

(二) 職務上の指示・命令に反し、しばしば外来患者、職員らに対しビラを配付し、マイクで演説し、更には中野総合病院玄関前で「抗議集会」なるものを開催し、氏名不詳の者と院内に乱入した。

(三) 理事及び職員の自宅付近において、事実を歪曲し、誹謗中傷したビラを配付し、更には脅迫電話をした。

右(一)ないし(三)に該当する具体的事実は次のとおりである。

① 同五五年一〇月二四日午後二時ころから約三時間、外部の者約一〇数名と共に突然中野総合病院の事務棟に乱入し、浅田総務課長、小林副組合長らの机をとりまいて「ぶっ殺してやる」などの怒声を繰り返し、業務遂行を不可能にした。

② 同日夜、氏名不詳の者五名と共に、大学生協会館で開催されていた原告の理事会に乱入し、退去命令を無視し、暴言を吐き、シュプレヒコールを繰り返し、理事会の審議を不可能にした。

③ 同年一一月五日午後一時三〇分ころ、甲野太郎と共に、院長と小林副組合長が業務の打合せをしていた院長室に侵入し、退去命令もきかず、約四時間にわたって院長らを同室に監禁し、最後に「院長と浅田(総務課長)は病院に来れないようにしてやるぞ」と暴言を吐いた。

④ 同月一九日午後二時ころ、太郎及び戊田某と共に、院長室前で院長及び両副院長を取り囲み「団交」を要求し、暴言を吐き、約二時間執務を不能にした。

⑤ 同年一二月一二日午前九時ころから同一二時ころまで、三〇数名の者と共に中野総合病院玄関前で集会を開き、拡声器で怒声を発し、座り込みをし、院内に乱入を図り、著しく業務を妨害した。

⑥ 同日午後、太郎と共に、院長、副院長が来客と面談中の病院内応接室に乱入しようとし、これを阻止しようとした病院職員を殴打し、左眼部に傷害を与えた。

⑦ 同五六年二月四日午前一〇時ころから午後一時四〇分ころまでの間、氏名不詳の者一〇数名と共に、病院正面玄関前で「集会」なるものを開き、拡声器で怒鳴り、院内に乱入し、副院長を取り囲み、業務を妨害した。

⑧ 同年三月二三日午前一〇時ころから同一一時三〇分ころまで、氏名不詳の者三〇数名と共に、病院西口玄関前で「抗議集会」なるものを強行し、拡声器で怒声を発し、座り込みをし、患者、職員らの通行を妨害し、診療を不可能にし著しく業務を妨害した。

⑨ 同年四月一三日午後三時ころから同四時四五分ころまで、氏名不詳の者一三名と共に被告らに関する懲戒委員会が開かれていた中野総合病院内新渡戸講堂に乱入し、懲戒委員を取り囲み、暴言を吐き、懲戒委員会の審議を中断せしめ、その後、病院内整形外科外来前でジグザグデモを行った。

⑩ 同日新渡戸講堂内において、浅田課長の顔面を殴打し、眼鏡を破損させた。

⑪ 同五五年一一月五日ころから解雇に至るまでの間、院長、浅田総務課長宅に「殺してやる」等の脅迫電話を数回かけた。

⑫ 同五五年一二月一二日から解雇に至るまで、氏名不詳の者らと共に、病院正面・西口玄関前等において、一〇数回、拡声器で怒声を発し、そのため、入院・外来患者の診療に著しい支障を与えた(例えば、同五五年一二月一二日、同月一四日、同五六年一月三〇日、同年二月四日、同月九日、同月一六日、同年三月一六日、同月二三日、同月二七日、同月二八日等)。

⑬ 同五五年一二月一八日ころから解雇に至るまで、院長、副院長、総務課長、用度施設課長の各自宅付近において、氏名住所等を明記した中傷ビラを数回配付した。

⑭ 同五五年一二月二五日から解雇に至るまでの間、「職対ニュース」(第一号から一四号)等を患者・職員をはじめ不特定多数の者に配付し、事実を歪曲し、原告らの名誉を著しく傷つけた。

2 被告らの主張

原告が業務妨害行為等と主張する被告らの行為は、専ら原告の一方的かつ暴力的な職業病患者切捨てに抗議し、その是正を求めるために行った相当な行為であるから、原告が非難されこそすれ、被告らが責任を負ういわれはなく、懲戒解雇の理由とすることは許されない。

原告が被告らの具体的な業務妨害行為として主張する①ないし⑭の事実は、次のとおりすべて争う。

①の当日は、被告両名を含む約一〇名が原告との話し合いを求めに行き、正規の面会申込手続を踏んでしばらく待機した後、平穏に小林組合長との話合いを行ったものである。

②の当日は、理事会開催前に会場入口において面会を求め、これを断られたので、すぐに退散したものである。

③の日時には、被告両名及び太郎が院長に面会を求めたところ、院長室には院長のほか小林組合長も在室しており、平穏な話合いの結果、立入禁止の立札を撤去する旨同院長が約したものである。

④の当日被告両名、太郎及び戊田の四名が団交要求を行った事実はあるが、暴言や執務を不能にしたことはない。

⑤の集会は丙川夏子に対する解雇の撤回を求め、同人の家族の要請もあって行われたもので、同日午前中のみで平穏に解散し、昼食後に代表三名のみが原告に申入れを行う計画であったもので、乱入等の事実はない。

⑥の日時には、被告両名及び太郎が院長に面会を求めに行ったのをガードマンと職員らが面会を妨害し廊下に排除したというにすぎず、職員を殴打したり傷害を与えたというような事実はないし、被告両名が関与しない事実を同人らの解雇理由とすることは許されない。

⑦は、被告ら一〇数名が被告乙山の配置場所と第二次労災、池澤医師の被告両名に対する診療拒否に対する抗議集会を行ったうえで代表者だけが話合いを求め、仙石副院長と平穏に面談した結果、正式な団体交渉の実現に努力する旨の回答を得たというものであって、拡声器で怒鳴り、院内に乱入し、副院長を取り囲み、業務を妨害したことはない。

⑧は、池澤医師の事実に反する治癒診断と協定書に反する一方的な通常勤務命令に対する抗議集会を平穏かつ整然と行ったものである。

⑨は、原告が通常勤務命令について話し合わず、被告両名が原告の提案した他の医師の診断に応じる旨回答したのを無視して懲戒処分を強行しようとしていたことに抗議したものであって、原告の理事側が懲戒委員会をいったん解散して理事会として打合せをすることとなったので被告らが退席して待機していたところ、突如浅田総務課長が実力排除に出てきたもので、ジグザグデモなど行っていない。

⑩は、浅田課長が太郎に同行した者を突きとばし転倒させる等の先制的暴行を加えたのに対し、太郎がこれを制止しようとして、たまたま同人の手が浅田の眼鏡に触れて破損したのにすぎず、殴打の事実はない。

⑪については、被告らが殺すぞ等と電話で述べたことはなく、脅迫電話と評されるような電話をかけたこともない。

⑫のうち、同五五年一二月一二日、同五六年三月二三日のものは、前記⑤及び⑧の主張と重複し、その余の日時については、被告両名が中野総合病院付近に赴いた事実は全くない。

⑬については、被告らがビラによってどのような中傷をしたかについての原告の主張が全くない。右の当時副院長の自宅付近ではいかなるビラを配付した事実もない。

⑭は、どの職対ニュースのどの記載が事実を歪曲したのか示されていない。また、職対ニュースは被告らが作成、配付したものではなく労働組合が作成したものであるから、これを被告両名に対する懲戒解雇の理由とすることはできない。

(労働基準法一九条違反の有無について)

1 被告らの主張

被告両名に対する本件各懲戒解雇は、次に述べるとおり業務上の疾病又は負傷により休業中の労働者の解雇を禁止した労働基準法一九条に違反しており、無効である。

(一) 被告甲野の疾病について

(1) 被告甲野の頸肩腕症は、劣悪な環境下で膨大な仕事量を不自然な姿勢で行ったことにより発生したものであり、業務起因性が認められる。すなわち、同人の職場である検査室は地下にあり、一日中陽がささず、床がコンクリートのため冬はガスストーブによる暖房が効かなかったうえ、換気設備がないため空気が濁り、夏は蒸風呂状態であった。仕事量も原告の和議、再建(中野総合病院は、昭和四四年ころから経営が行き詰まり、同五一年三月和議を申し立てるに至った。)の過程で退職者が続出したこと等から従業員一人当たりの仕事量が増加し、とりわけ昭和四九年四月から成人病検診が始まり、心電図を例にとると、従来一日平均一〇ないし一二名であったのが、多いときには三〇名位になったため、昼休みを返上し、毎日残業を行ってもこなしきれないほどであった。作業姿勢も、顕微鏡作業は頸を長時間前に曲げなければならず、ピペット操作では上肢を中空に固定して作業しなければならない等不自然な姿勢を強制された。

なお、中野総合病院の検査室では、被告甲野のほか、病理検査に従事していた丁原秋子が同五一年六月に頸肩腕症を発症し、同月から同年一一月まで入院しており、原告は同人の右疾病を職業病として取り扱った。

(2) 原告は、本件協定に基づきリハビリ勤務を継続していたものであり、同人の疾病は、右解雇当時治癒していなかった。

(二) 被告乙山の疾病等について

(1) 被告乙山は、看護婦として内科を中心とした混合病棟に勤務していた。病棟勤務の看護労働は、一般的に夜勤を含めた変則勤務、長時間の立作業、患者介護のための中腰作業等腰部に過度の負担のかかる業務であるうえ、中野総合病院では和議、再建のため職員に犠牲的精神が強要されて労働強化がもたらされ、倒産危機の中で退職者が続出し、運営方針の対立に基づき総婦長が解任され約三〇名にのぼる看護婦が退職したこと等のために人員不足が慢性化し、労働は極めて過重なものとなった。このため、多くの看護婦が腰痛症を発症し、被告乙山もその一人であった。被告乙山は、腰痛症発症後約二週間休業した後、若干の症状回復を待って再度出勤し、病棟看護労働の一部である採血業務に就いたが、右業務が横になっている患者の採血を行う中腰作業であったため、症状が悪化した。したがって、同人の腰痛症はその業務に起因するものである。

被告乙山は、同五一年一二月原告理事会の決定によりその腰痛症の業務起因性が認められ、同五五年六月労災認定を受け、本件解雇当時全面休業状態にあったものである。

(2) 原告は、昭和五四年一〇月二九日被告乙山を当時同被告が所属していた用度施設課の他の者の席から切り離し、独りだけ通路に席を作り勤務を命じた。この席はスチール製ロッカーに接して机を置いてあったため、右ロッカーの上に山積みされた荷物が頭上に落下する危険があったところ、翌三〇日事務職員が右ロッカーの上の荷物を取ろうとした際、誤って一・八メートルの高さから縦約四〇センチメートル横約三〇センチメートルのレントゲンフィルムを収納した箱を約五個落下させ、これらの箱が座っていた同被告の頭部を直撃したため、同被告は頸椎捻挫の傷害を負った。同被告は、右傷害により一週間に三日午前中のみ勤務するリハビリ勤務に変更したが、症状が悪化し、同五五年五月二日から全面休業せざるを得なくなった。

中野労働基準監督署は、右傷害につき業務起因性があると認定した。

(3) 同人の右疾病及び傷害は、右解雇当時治癒していなかった。

2 原告の主張

(一) 被告甲野について

(1) 被告甲野の従事した諸検査が膨大な量であったとの主張は事実に反する。血液検査に従事していたのは当時三名であったが、常時他の技師全員が応援に出かけ処理していた。心電図の器械を除く、脳波、肺機能の検査器械は現在も同型のものを使用し、処理量も当時と比較にならないほど多量であるが、同被告と同一の症状を訴えた者はいない。心電図についても、「従来一日平均一〇ないし一二名であったのが、多い時は三〇名くらいになった」と主張するが、一〇ないし一二名というのは通常に比して少なすぎる数であり、三〇名というのは最高数で昭和四九年五月中に一度あっただけである。また、甲野が昼休みを返上し毎日残業をやった事実はなく、同四八年一二月から同四九年三月までの間の残業は三回合計五時間だけであった。

原告が本件協定を締結した経緯は次のとおりである。すなわち、被告甲野は、その結成した中野総合病院ケイワン患者の会の者らと共に、病院内外で事実に反し、病院関係者らを誹謗中傷するビラを配付し、マイク等を使用して演説を繰り返し、病院内で集会を開き、ジグザグデモを行い、多数で原告の理事等を取り囲み、理事等をして同被告をはじめ氏名不詳の者二七、八名の者と面会を余儀なくさせた。同被告らのかかる行動により病院の機能が果たせなくなったため、原告は、同被告らと本件協定を取り交わさざるをえず、同被告の頸肩腕症の業務起因性を認めることを余儀なくされたものである。

(2) 同被告の頸肩腕症は、本件解雇当時既に通常勤務が可能な程度に治癒していた。

(二) 被告乙山について

(1) 原告は、被告乙山の腰痛発生の原因把握は非常に困難であり、その業務起因性は確定できないが、同被告の欠勤に関する取扱いは業務上災害に準ずる扱いとすることにしたものにすぎず、業務起因性を認めたことはない。

(2) 同被告の腰痛症及び頸椎捻挫は、本件解雇当時既に通常勤務が可能な程度に治癒していた。

(解雇権濫用について)

1 被告らの主張

原告の被告らに対する懲戒解雇は、次に述べる事情からみて解雇権の濫用に当たり、無効である。

(一) 通常勤務命令の無効

(1) 被告両名に対する本件通常勤務命令は、原告と被告甲野らとの間で昭和五〇年四月に締結された本件協定(被告乙山にも準用)中の、職場復帰については回復度に応じて患者と相談して決める旨の約定に違反し、職場復帰の日時、復帰後の職務内容、就業時間を一方的に決定し、命令したものである。

(2) 原告は、職業病患者を敵視し、これを排除することに奔走していたところ、被告両名が全従業員と労働組合の先頭に立ち職業病患者に対する保障を求めていたことから、被告両名を解雇するため、偽りの治癒診断をしたうえ本件通常勤務命令を恣意的に発令したものである。

(3) 以上のとおり、被告両名に対する通常勤務命令は、本件協定に違反し、被告両名を解雇するために恣意的に発令されたもので無効である。

(二) 手続上の瑕疵

(1) 被告らに対する各懲戒解雇は、理事会の議決を要するにもかかわらず、右議決を経ていない。すなわち、原告の定款、業務組織規程及び就業規則によれば、職員の任免は懲戒委員会及び理事会の議決を経て組合長名で執行することとされているところ、本件懲戒解雇については、懲戒委員会終了の当日、各懲戒解雇を常勤理事会で確認しただけで(右常勤理事会は当時正式の機関ではなく、理事会の権限を代行できる余地はなかった。)理事会の審議にかけないまま各解雇通知が発せられてしまい、理事会では解雇後の通常理事会において再確認されたにすぎないものである。

(2) 被告らに対する各懲戒解雇は、懲戒委員会当日の被告らの行動を懲戒理由とする限りにおいて、正規の懲戒委員会の議決を経ていない。すなわち、原告の就業規則上、懲戒委員会の審議は労働組合選出の委員を含むすべての懲戒委員に対し議題を明示して招集をし、かつ、委員会の審理において本人に弁解の機会を与えなければならないにもかかわらず、懲戒委員会は被告両名の委員会当日の行動を懲戒理由に含めるについて右招集手続をせず、被告両名に弁解の機会を与えないまま、その場で即座に懲戒解雇相当の議決を行ったものであり、右の限度でその場に出席していなかった労働組合選出の懲戒委員は実質上懲戒委員会への参加の機会を剥奪されたものである。したがって被告らの懲戒委員会の懲戒解雇相当の議決には瑕疵があり、右瑕疵は極めて重大であって到底懲戒委員会の議決の名に値しないから無効である。

(3) よって、被告らに対する各懲戒解雇は、必要とされる理事会の議決を欠いており、懲戒委員会の議決も無効である。

2 原告の主張

(一) 通常勤務命令の無効の主張について

本件協定は発病から治癒までの間について協定したものであるところ、被告両名の疾病は本件通常勤務命令当時治癒しており、通常勤務が可能であったから、右通常勤務命令は本件協定には何ら抵触しない。

(二) 被告両名に対する懲戒解雇手続について

原告は、昭和五六年三月の理事会で被告両名につき就業規則に基づく懲戒委員会を設置すべきことを決定した。懲戒委員会の委員は、原告の理事二名を含む合計一〇名が組合長から指名されたが、労働組合からは原告の懲戒委員推薦の依頼にもかかわらず推薦がなかった。

懲戒委員会は被告両名について同年四月八日に第一回の委員会を開催し、当該職場の所属長の事情聴取等を行った。同委員会は、第二回委員会の開催日時を被告甲野については同月一三日、被告乙山については同月二四日と定め、弁解の機会を与えるため被告両名に右日時及び弁明の対象となる事項を通知した。同委員会は、被告甲野については同月一三日、被告乙山については同月二四日に、それぞれ全員一致で懲戒解雇相当の議決をし、右各当日に原告の常勤理事会に懲戒解雇相当の答申をした。右各答申を受けた常勤理事会は、被告両名をいずれも懲戒解雇に付すべきものと判断し、各理事にそれぞれ連絡をとり、もって全理事の合意の下に、懲戒解雇処分の執行をしたものである。

以上の経過に照らすと、被告両名に対する懲戒解雇手続はいずれも妥当かつ適法である。

第三争点に対する判断

一  懲戒解雇事由の存否

被告甲野及び同乙山は、昭和五五年一〇月ころから解雇に至るまでの間に、被告に対して次のとおりの行為を行ったことが認められる。

1  昭和五五年一〇月ころには、被告両名及び斗う会の者(このころには、被告乙山も斗う会と行動を共にしていた。)、中野総合病院の看護婦で腰痛により休職中であった丙川夏子を原告が同年九月八日付けで休職期間満了による退職扱いとしたことに抗議し、丙川の疾病はその業務に起因するものであるのに解雇したのは不当である等と主張していた(なお、この問題は、同年一二月一三日、原告と丙川の間で原告が丙川に解決金六〇〇万円を支払うとの合意が成立して解決した。)。また、従前から、原告が被告乙山の身分を看護職から事務職に変更して給与を減額し、かつ、同人に扶養手当を支給しないのは不当であると主張するとともに、同人の頸椎捻挫罹患について、原告がその責任を明確にするよう要求していた。

2  被告両名は、同年一〇月二四日午後二時ころ、斗う会の者一〇名余りと共に、突然中野総合病院の事務棟に入り込み、同所で執務中の浅田総務課長の机を取り囲み、同人に対して丙川の不当解雇を追及するとして、約二時間にわたって怒声を発し、右丙川問題について斗う会と交渉するよう要求した。この間斗う会の者が、浅田課長に「ぶっ殺してやる。」と暴言を吐いたことがあった。被告両名及び斗う会の者は、引き続き、小林副組合長を取り囲み、右同様に怒声を発して、丙川問題につき交渉するよう要求した。このため、この間、浅田課長及び小林副組合長は業務を行うことができなかった。

さらに、被告両名は、氏名不詳の者五名と共に、同日夜開催された原告の理事会にも押しかけ、組合長の制止及び退去要求に従わず、丙川問題についての交渉を要求して暴言を吐き、シュプレヒコールを行って、理事会の進行を妨害した。

3  被告両名及び太郎は、同年一一月五日、午後一時三〇分ころ、事前の連絡や予約なしに突然、藤森院長及び小林副組合長が業務の打合せをしていた中野総合病院院長室に入り込み、同院長の退去要請に従わず同人を取り囲んで丙川問題について斗う会と交渉するよう要求し、これを同院長が拒否したところ約四時間にわたって同所に留まり、同院長が部屋から出ようとするのを前に立ちふさがって妨害するなどして右要求を繰り返し、「浅田と院長は病院に来れないようにしてやるぞ。」と述べて立ち去った。この間、院長は予定していた来客に会うことができない等業務の遂行を阻害された。

被告両名、太郎及び斗う会の代表者の戊田某は、同月一九日午後二時ころ、院長室前に行き、午後の業務に行こうとしていた藤森院長を押し止め、斗う会との交渉を再度要求し、同院長に対し暴言を吐く等して、その業務遂行を妨害した。

4  被告両名及び斗う会の者は、同年一二月一二日午前九時ころから一二時ころまで、中野総合病院西口玄関前において丙川問題についての抗議集会を開催した。集会には四〇名弱の者が参加し、被告甲野を含む集会参加者は約一時間にわたり拡声器を用いて演説した後、病院が立入禁止の掲示をしていたにもかかわらず玄関から病院内へ入り込もうとしたが、病院側のガードマン等に阻止された。

被告両名及び太郎は、同日午後一時二〇分ころ、藤森院長に交渉を申し入れようと同病院院長室に隣接した応接室に無断で入り込もうとしたため、これを阻止しようとした病院職員二名及びガードマン一名と揉み合いとなった。太郎は、院長室前の中廊下と大廊下の境のドアの外に押し出されそうになった際、同人らを押し出そうとしていた病院職員大定の左眼付近を手拳で殴打した。

5  原告は、同月一六日付けで被告両名に対し、それぞれこれまでの被告両名の言動は病院業務に対する重大な破壊行為であり、就業規則に定める懲戒処分事項に該当するので、今後同様の行為を続けた場合には懲戒処分をせざるを得ない旨を書面で警告した。

6  被告両名及び斗う会の者は、同五六年二月四日午前一〇時ころから一〇時四〇分ころまでの間、被告乙山の頸椎捻挫罹患等についての原告の責任を追及するとして中野総合病院正面玄関前で集会を開催した。集会には一〇名位の者が参加し、被告甲野をはじめとする集会参加者は、集会の開催されている間、拡声器を用いて演説をし、シュプレヒコールを繰り返した。

被告両名及び斗う会の者は、同日、同病院外科外来前で診療に行く途中の仙石副院長を取り囲み、被告乙山の疾病についての責任問題等を話し合うよう執拗に要求して容易に立ち去らず、同医師の診療を妨害した。

7  被告両名及び斗う会の者は、原告の再三の制止にもかかわらず、同年三月二三日午前一〇時一五分ころから一一時三〇分ころまで、原告が被告甲野に対し同月一七日通常勤務命令を発したことに対する抗議集会を中野総合病院西口玄関前で開催した。集会には三〇数名の者が参加し、被告甲野及び他の参加者は、集会の間、拡声器を用いて演説した。

原告は、同日付けで被告甲野に対し再度このような行為をした場合には懲戒処分をする旨を書面で警告した。

8  被告甲野は、右に認定したほか、同五六年一月七日、三〇日、同年二月九日、一六日、同年三月一六日、二〇日、二七日、同年四月一日、三日、六日、七日、一一日に中野総合病院玄関前において、拡声器を用いて被告両名に対する原告の対応に抗議する内容の演説を行い、四月六日の際には、約七名の者とシュプレヒコールを繰り返した。

9  原告は、同五六年四月九日、被告甲野に対し、同人の懲戒委員会を設置したこと、同月一三日午後三時から開催する懲戒委員会において同人に弁明の機会を与えるので出頭するよう求める旨を通告した。

ところが、被告両名は、太郎ら一〇数名の者と共に、同年四月一三日午後三時ころ、被告甲野に対する懲戒委員会が開催されていた中野総合病院新渡戸講堂に懲戒委員会粉砕のシュプレヒコールと共に乱入し、懲戒委員会の設置を認めないとして懲戒委員を取り囲んで長時間にわたり抗議をし、暴言を吐き、再三の退去要求にも応ぜず、シュプレヒコールをするなどして懲戒委員会を混乱に陥れ、審議を妨害した。この際、太郎は、同所にいた浅田課長の顔面を殴打し、同人の眼鏡を破損させた。

右に認定したところによれば、被告両名は、太郎をはじめとする斗う会の者らと共謀のうえ、中野総合病院の院長をはじめとする管理者の業務の遂行を脅迫的言辞などをもって実力で妨害し、病院に向けてその玄関前から長時間にわたり拡声器で演説し、病院職員に対し暴言を吐くなどしたもので、被告らのこれらの行為によって、右病院の業務が妨害されるとともに、入院及び外来患者が著しい迷惑を被り、同病院における治療行為に多大の支障をきたしたことは明らかである。被告両名の右の各行為は、原告の中野総合病院の就業規則六五条九号(他人に対して暴行脅迫を加えてその業務を妨げた者)、一〇号(職務上の指示、命令に対して不当に反抗し、職場の秩序を紊そうとした者)又は一七号(その他前各号に準ずる程度の不都合の行為があった者)に定める懲戒事由に該当するものであり、被告両名は、病院職員として医療に支障をきたさないよう十分に配慮すべき立場にありながら、あえてこのような行為に及んだものである。そして、後記のとおり通常勤務命令違反も懲戒事由となるから、これらの事由に対し懲戒解雇をもって臨むのも止むを得ないというべきである。

被告らは、右各行為は原告の職業病患者排除に対する抗議行動として行った相当な行為であると主張するが、その行為態様に照らし抗議行動として認められる範囲を逸脱したものといわざるを得ないから、右主張は到底採用することができない。

二  労働基準法一九条違反の有無

本件において原告は、被告両名の各疾病等の業務起因性を積極的には争っていないので、ここでは業務起因性の有無の判断は暫く措き、まず被告両名の疾病等が本件解雇当時治癒していたといえるかどうかを検討する。

1  被告甲野の頸肩腕症は解雇当時治癒していたか

(一) 被告甲野は、昭和四九年四月頸肩腕症発症後、中野総合病院で温熱療法等の治療を受けてきたが、同五三年九月一一日からは池澤医師が被告甲野の主治医として同人を診察するようになった。同日以降、原告甲野が池澤医師の診察を受けた際の症状は、次のとおりであった。

同五三年九月一一日―首の両側の筋肉及び僧帽筋に圧痛がある。疼痛があるというより突っ張ってくる感じである。頸椎の棘突起には圧痛も叩打痛もない。

同年一二月四日―僧帽筋の圧痛が強い。引っ張りによる疼痛は少なく、痺れはほとんどない。

同五四年一月二二日―肩こり感があり、本を読んだりすると疼痛が出現する。僧帽筋のみに圧痛がある。

同年二月二六日―肩甲拳筋に圧痛がある。

同年四月二三日―痺れよりも張る感じと疼痛がある。肩甲拳筋に圧痛及び筋硬結がある。

同年九月三日―寒くなると張ってくると訴える。両側僧帽筋に圧痛がある。

同年一二月八日―項部に圧痛があり、やや萎縮している。

同五五年三月三日―項部に圧痛がある。

同年五月一〇日―圧痛があるが、筋硬結はない。首の両側の筋肉に少し痛みがあり、運動痛がある。

同年五月二六日―項部痛が増強した。僧帽筋に圧痛がある。

同年七月七日―半月位前から自発痛を感ずることがなくなってきた。新聞を手を上げて読んだり、字を書いたりすると痛い。僧帽筋は良くなってきているので肩甲拳筋に問題があるのではないかと考えられるが圧痛はない。

同年八月一八日―一週間位前から項部痛が増強した。肩甲拳筋に圧痛があるが、筋硬結はない。

同年九月一一日―疼痛が強まっている。僧帽筋に圧痛がある。

同年一〇月二七日―肩の張る感じがあり、疼痛が時々ある。僧帽筋に圧痛がある。首を動かすと反対側に痛みがある。肩甲拳筋を強制しても疼痛はない。

同年一二月一日―項部痛がある。肩甲拳筋の圧痛がある。

同五六年一月一二日―自発痛があり、書いたり重い物を持ったりすると痛い。僧帽筋に圧痛があるが、叩打痛はない。棘突起には圧痛も叩打痛もない。

(二) 池澤医師は、主治医となって以来、被告甲野に対して特段の治療行為を行わず経過を見守ってきたが、同日、次のような事情から被告甲野に対する診療を拒絶するに至った。すなわち、同医師は、中野総合病院の副院長で原告の理事であったが、被告甲野ら斗う会が職業病問題で原告に対する要求等を記載したビラに抗議先の一つとして同医師の自宅を挙げていたことを知り、医師と患者との間の信頼関係が損なわれたので、これ以上被告甲野に対する診療行為を続けられないと思い、その旨を同日診察を受けにきた被告甲野に告げ、同被告が引き続き医師の診察を受けたいのであれば他の医師を紹介する旨を述べた。これに対して被告甲野は、理事としての池澤と医師としての池澤とは別であるとして診察の継続を希望したが、池澤医師に受け入れてもらえなかった。

(三) 原告は、同年三月四日池澤医師に対して被告甲野の病状の診断と就労の可能性を問い合わせた。これに対して同医師は、被告甲野を最後に診察した同年一月一二日には同被告の頸肩腕症は治癒していたと判断し、同年三月五日、原告に対し、前記のとおり、被告甲野の頸肩腕症の症状は同年一月の時点でほぼ固定しており、特段の後遺症状は認められない旨回答した。

これを受けて原告は、前記のとおり、通常勤務命令を発し、同年四月一日被告甲野を解雇するに至った。

(四) その後被告甲野は、同年五月二二日から池澤医師の紹介によることなく、八王子中央診療所の杉浦医師の診察を受けるようになったが、同日以降同被告が杉浦医師の診察を受けた際の症状は、次のとおりであった。

同五六年五月二二日―後頭下部、僧帽筋及び小円筋に筋硬結及び圧痛がある。項筋群及び肩甲拳筋には筋硬結及び強い圧痛がある。菱形筋に筋硬結及び圧痛が少しある。首から肩にかけての凝りと痛み、後頭部の凝り、重感があり、痛みで睡眠障害があると訴える。

同年五月二九日―後頭部の凝り及び肩から背中にかけて痛みがあると訴える。抗議行動を連日やっているので疲れたと述べる。

同年六月一二日―二週間前よりも痛みが和らいだ、首の痛みはないときもある。重い物を持っているので腕の付け根が痛む。

同年六月二六日―首筋が重く、肩が痛い。腕の付け根も痛む。体を休めることができないと訴える。

同年七月一七日―首筋に痛みは残るが、痛みの程度はやや良い。睡眠障害は非常に良くなった。右上腕二頭筋基部の痛み、肩甲拳筋の筋硬結がひどい。

同年八月七日―凝りと痛みは同様である。

同年九月一一日―首筋から頭にかけて重苦しさがある。首筋に痛みはないがひどい凝りがある。後頭部から背部にかけて筋硬結及び圧痛が強い。

同年一〇月一六日―痛みが続くことはなくなった。

同年一一月一三日―後頭下部、菱形筋に筋硬結及び圧痛がある。項筋群及び肩甲拳筋には筋硬結があり、圧痛が強い。僧帽筋には強い圧痛がある。胸椎傍脊椎筋群及び前斜角筋にも圧痛がある。症状悪化のきざしも軽快のきざしもない。

同年一二月一一日―凝りや重い感じは少し残るが、痛みはなく、睡眠障害もない。

この間、杉浦医師は、同年七月一七日付け診断書で同人を頸肩腕障害のため安静加治療を要する状態であると診断し、杉浦医師の後任の小島医師も同六三年二月五日付け診断書で被告甲野を頸肩腕障害であると診断している。

(五) 右に認定した事実によれば、同五四年九月ころから同五六年一月までの間、被告甲野には僧帽筋や肩甲拳筋に圧痛があるという以外には特段の症状がみられず、この間、医師から治療を受けていないにもかかわらず、症状にはほとんど変化がない。そして、同四九年六月以降頸肩腕症の発症原因であると被告甲野が主張する検査業務を離れ、同五〇年末ころから開始したリハビリテーション勤務においても前記のとおり一日に一、二名の検査業務を行っていたにすぎず、発症原因とされていた業務に就かなくなってから同五六年一月まで相当の長年月が経過していたものである。これらの事実と池澤医師が前記のとおり診断したこととを総合すれば、同被告の頸肩腕症は、遅くとも同五六年一月の時点では、後遺症の有無は別として症状が固定していたものと認めるのが相当である。そして、被告甲野は、一に認定したとおり、そのころ原告に対する抗議行動を活発に行っていたものであり、右の行動態様に照らしてみると、仮に被告甲野になんらかの後遺症が存したとしても、少なくともそれまで時間制限を付していた勤務形態から通常の勤務時間内は稼働する勤務形態に改めることが十分可能であったと認められる。そうすると、被告甲野は、同五六年一月の時点においては、具体的な仕事の内容について制約があったとしても、通常勤務が可能な状態であったといわざるを得ず、その意味で既に治癒していたものというのが相当である。

もっとも、右に認定した事実によれば、同被告には、本件解雇後である同五六年五月に杉浦医師の診察を受けた際、圧痛のほか、僧帽筋、肩甲拳筋等に筋硬結があり、その後も項筋群及び肩甲拳筋等に筋硬結の症状があったもので、症状の悪化が見られ、治癒していなかったとの疑いがあるようにみえる。しかしながら、同被告は解雇の意思表示のあったころから、連日のようにビラを配付し、拡声器を手に持って演説する等の抗議行動を行っており、杉浦医師に抗議行動をやっているので疲れた、拡声器を持っているので腕が痛む、体を休めることができない等と述べていることが認められ、この事情に照らすと、右筋硬結等の症状悪化は同被告の原告に対する連日の抗議行動に由来するものであると推認するのが相当である。また、杉浦医師の診断書は被告甲野の症状を安静加療を要する状態であるとするが、右の被告甲野の活動状況を考えると解雇後の原因に基づく症状であるとみるのが相当であって、右の診断があったからといって前記時点における治癒の認定を覆すに足りるものではないというべきであり、小島医師の診断についても、その判断根拠は何ら示されておらず、同様に右認定を覆すに足りない。したがって、解雇後における被告甲野の症状、杉浦医師及び小島医師の診断書の内容は、前記の通常勤務が可能であったという意味での治癒の判断を左右するものではない。さらに、池澤医師は原告の理事であり、前記のような事情で被告甲野の診察を断っているので、その診断に客観性を欠くおそれがないとはいえないが、前記の事情に照らしてみれば、池澤医師の勤務可能であるとの診断に誤りがあるとは認められない。

2  被告乙山の腰痛及び頸椎捻挫は解雇当時治癒していたか

(一) 被告乙山の腰痛症の症状の経過

被告乙山は、腰痛症の治療のため昭和五一年一一月二二日から長岡温泉病院で入院治療を受けていたが、腰痛以外に四肢等の痛み、悪寒、発熱を訴え、食事をベッドでとる状態となる等原因不明の症状が出たことから、同五二年六月一三日、東京大学神経内科の万年講師の診察を受けたところ、神経学的には問題がなく神経症である、寝てばかりいないでなるべく普通の生活をするようにとの診断を受けた。

ところが、被告乙山は、同月一七日及び二九日に中野総合病院内科で診察を受けた後、原告との連絡が途絶え、同年一〇月一日に診察を受けに来るまで同病院に来院しなかった。そして、同日の診察において、同五二年七月二一日から九月三〇日まで長岡に行っており、毎日マッサージを受け、体操をやっていたと述べた。

それ以後被告乙山は池澤医師の診察を受けるようになったが、同医師が診察した際の症状は次のとおりであった。

同五二年一〇月一日―腰痛があるほか指先、足先に痺れ感が残っている。左膝に疼痛がある。腰部に圧痛があるが、坐骨神経の刺激症状、脊柱の硬直はなく、運動性は良好である。

同年一〇月一五日―第三、四腰椎間に圧痛がある。前屈は正常にできる。

同年一〇月二九日―腰痛及び全身捲怠感があるが、左傍脊柱筋に圧痛や凝りはない。

同年一一月一二日―最近具合が悪く、腰痛があると訴えるが、脊柱硬直はなく、腰部の圧痛はあるかないかという程度である。

同年一一月二六日―疼痛は軽快した。圧痛、叩打痛、脊柱硬直及び坐骨神経の刺激症状はない。

同年一二月八日―腰部に自発痛がある。

同五三年一月九日―腰痛はやや軽快している。下肢の痛みを訴えるが、坐骨神経の刺激症状はない。腰部に圧痛及び叩打痛はない。

同年一月二一日―腰痛と左下肢痛を訴える。左腰部に圧痛がある。

同年二月一三日―腰痛は軽快している。坐骨神経の刺激症状はない。

同年三月九日―腰の突っ張りを訴えるが、圧痛はない。神経症の治療を同時に受けるよう勧める。

同年四月六日―腰痛は軽快している。圧痛はあるかないかという程度である。脊柱硬直はない。

同年五月四日―腰痛を訴え、圧痛があるが、脊柱硬直はない。左大腿部にかけても痛みを訴えるが、坐骨神経痛の症状ではない。

同年五月二五日―腰痛を訴え、圧痛がある。

同年七月一五日―腰痛は軽快している。坐骨神経痛の症状や脊柱硬直はない。右肩から上肢にかけて疼痛を訴える。

同年八月二四日―仙骨部に圧痛がある。坐骨神経の刺激症状はない。

同年九月七日―両膝の関節痛、腰部の疼痛及び左下肢痛がある。

同年一〇月一九日―腰部に圧痛がある。下肢の疼痛はやや軽快している。

同年一二月四日―腰部に圧痛がある。

同五四年一月二二日―寒いと腰痛がひどくなると訴える。脊柱硬直はない。

同年三月二九日―腰部に圧痛がある。

同年四月二三日―第三、四、五腰椎に圧痛がある。

同年五月二八日―腰部に圧痛があるが、脊柱硬直や運動痛はない。

同年八月二七日―腰部に圧痛及び叩打痛がある。

同年九月二七日―腰部に圧痛がある。

同年一一月一日―腰部に圧痛がある。

同年一一月二九日―腰部に圧痛がある。坐骨神経の刺激症状はない。

同年一二月二七日―左大腿部の裏側に疼痛があると訴える。腰部に圧痛があるが、脊柱硬直はない。

同五五年二月二五日―腰部に圧痛がある。

同年三月三一日―腰痛がまだある。

同年四月一七日―腰痛は軽快している。寝てばかりいると言うので、全身の筋肉を丈夫にするために動かすよう勧める。

同年五月二六日―腰部に鈍痛があり、歩くと痛いと訴える。

同年七月三日―状態は変わらず、腰部に鈍痛があると訴える。

同年七月三一日―腰部痛、下肢痛は軽快している。脊柱硬直、運動痛はない。

同年八月二八日―項痛、腰部痛、下肢痛を訴える。筋硬結はない。

同年九月二九日―腰痛はやや軽快したが、背部痛がある。

同年一〇月二七日―このごろ頸の調子が悪く、左側頭部から後頭部にかけて疼痛がある、腰痛はやや軽快している。

同年一一月二七日―経営の攻撃が一段と強まってきて、その対応のため痛くなってきたと述べる。腰部に圧痛がある。

同年一二月二二日―腰痛が増強したと訴えるが、脊柱硬直はなく、運動性も良好で、坐骨神経の刺激症状はない。

同五六年一月二六日―腰痛が増していると訴える。腰部に圧痛がある。

(二) 被告乙山の頸椎捻挫の症状の経過

被告乙山は、頸椎捻挫のため中野総合病院整形外科で、同五四年一一月一日から同五五年二月まで小山医師の、同月以降同五六年一月二六日まで池澤医師の診療を受けた。

被告乙山の頸椎捻挫の症状の経過は、次のとおりである。

同五四年一一月二一日―知覚異常はない。頸の運動は良好である。右肩のこわばり及び圧痛がある。

同五五年二月六日―頭痛がある。症状は不定愁訴のみであり、頸椎捻挫の徴候はほとんどない。

同年二月二五日―疼痛があるが、大分良くなってきていると述べる。

同年三月一〇日―項痛、耳痛があり、傍脊柱筋の圧痛がある。

同年三月三一日―左傍脊柱筋の圧痛が少しある。

同年四月一七日―左傍脊柱部に圧痛がある。筋硬結はない。

同年五月二六日―左側項痛を訴える。

同年七月三日―筋硬結はない。下を向いての仕事がつらいと訴える。

同年七月三一日―項痛が軽快した。

同年八月二八日―項痛及び後頭部痛があり、筋硬結が見られる。

同年九月二六日―項痛が繰り返す。

同年一〇月三〇― 左側頭部の疼痛、後頭部痛及び僧帽筋の圧痛がある。脊柱硬直はない。

同年一一月二七日―後頭部痛を訴える。

同年一二月二二日―吐き気を訴える。項部の上方部に疼痛があるが、運動性は良好である。側屈した時に痛みがある。

同五六年一月二六日―頭痛、凝りがある。耳痛は軽快したが、眼の痛みが増強している。背部にも疼痛があり、傍脊柱筋に圧痛がある。

(三) 被告乙山は、腰痛症及び頸椎捻挫のいずれについても、中野総合病院に通院していた間、マッサージ及び温熱療法を受けていたが、その間、小山医師は、同五五年二月六日、不定愁訴のみで頸椎捻挫の徴候はほとんどなく、頸椎捻挫としての加療期間をそろそろ過ぎるのではないかと判断した。そして、同五六年一月二六日池澤医師は、前記の被告甲野につき診察を断ったのと同じ理由から、被告乙山に対する診察を拒否するに至った。

(四) 原告は、被告甲野と同様に被告乙山についても症状等を問い合わせたが、これに対して池澤医師は、前記のとおり、被告乙山を最後に診察した同五六年一月二六日、同人の腰痛及び頸椎捻挫の症状が固定し、見るべき後遺症がないと判断し、同年三月五日、原告に対しその旨を回答した。これを受けて原告は、前記のとおり、通常勤務命令を発し、被告乙山を解雇するに至った。

(五) 右に認定した事実によれば、被告乙山の腰痛症は、同五二年一〇月以降同五六年一月に至るまで腰部等の圧痛以外に見るべき症状がなく、他覚的症状にほとんど変化がみられない。同被告は同五二年六月に神経症であると診断され、同五三年三月には池澤医師から神経症の治療を受けるよう勧められていることからみると、右神経症が同被告の腰痛等の訴えに影響を及ぼしているといわざるを得ない。そして、同被告が腰痛症発症の原因とする看護婦業務に従事しなくなってから同五六年一月の時点で四年余りも経過していたものである。これらの事情を総合し、池澤医師が前記のとおり診断したことを併せ考えると、同被告の腰痛症は遅くとも池澤医師が最後に同被告を診察した同五六年一月の時点では症状が固定していたものであり、後遺症として残っていた症状があるとしても、その症状と業務との因果関係を直ちに肯定することは困難であるというべきである。

また、右に認定した事実によれば、同被告の頸椎捻挫についても、同五四年一一月以降同五六年一月に至るまで傍脊柱部等の圧痛以外に見るべき症状がなく、小山医師も同五五年二月の時点で同被告の症状から頸椎捻挫としての加療期間をそろそろ過ぎるのではないかと判断している。同被告は前記のとおり神経症と診断されており、右神経症が同被告の疼痛の訴えに影響を及ぼしているものとみざるを得ないのは、腰痛症の場合と同様である。これらの事情と池澤医師の診断とを総合すると、同被告の頸椎捻挫も遅くとも同五六年一月の時点では症状が固定し、後遺症があったとしてもその原因は神経症にあるとの疑いが強いものと認めるのが相当である。

そして、被告乙山も、被告甲野と同様に原告に対する抗議行動を行っていたものであり、その態様に照らせば、同被告が用度施設課雑務係として通常の勤務に就くことは十分可能であったものということができ、その意味で既に治癒していたものと認められる。

これに対し、被告乙山の陳述書には、右の当時、同被告の疾病が治癒していなかった旨の記載があり、確かに同被告は前記のとおり昭和五五年六月から勤務に就いていなかったものであるが、右の勤務を止めたのは同被告本人の判断であって、その当時特別に症状が悪化した事実を認めるに足りる証拠はなく、前述の諸事情とりわけ同被告が神経症と診断されていることに照らすと、右陳述書の記載があるからといって、右の治癒の認定を覆すに足りるものではない。また、池澤医師の診断については被告甲野の場合と同様の問題を指摘できるとしても、前記事情に照らせば、それが誤りであったとすることはできない。

3  以上によれば、被告甲野及び同乙山の疾病は、本件解雇当時既に治癒し、本件解雇につき労働基準法一九条の解雇制限の規定が適用される余地はなかったものである。同時に、原告の発した通常勤務命令はその効力を有し、これに従わなかったことは就業規則六五条八号、一〇号の懲戒事由となるということができる。

三  解雇権濫用の有無

1  被告らはまず、通常勤務命令は本件協定に違反し、偽りの治癒診断に基づき恣意的に発令されたと主張するが、本件協定は治癒するまでの間についてのものであると認められるから、本件においてその違反は問題とならないし、前述のとおり治癒と認められる以上、恣意的発令とする被告らの主張が理由がないことは明らかである。

2  次に被告らは、同人らに対する各懲戒解雇は、原告の理事会の事前の議決を経ていないから手続上の瑕疵があると主張する。

そこで検討するに、従前、原告においては、懲戒委員会の決議を執行する際には事前に理事会の決議を経ていたこと、原告の懲戒委員会は被告甲野につき昭和五六年四月一三日、被告乙山につき同月二四日にそれぞれ懲戒解雇相当の議決をし、右各当日にそれぞれ常勤理事会に答申をしたこと、常勤理事会は懲戒解雇相当との結論に達したため各理事にそれぞれ連絡を取り全理事の合意を得たこと、右合意に基づき原告は被告両名に対しそれぞれ懲戒解雇の意思表示を行ったこと、右措置は、原告の定例理事会で事後に確認されたことが認められる。したがって、理事会の事前の議決がなかったことは被告ら指摘のとおりであるが、他方、原告の中野総合病院の就業規則には懲戒委員会の決議を執行する方式については何らの定めがないことが認められるから、本件のように予め全理事の合意を得たうえで執行し、理事会で事後に確認するという方式をとったとしても、手続上の瑕疵があるということはできず、従前、事前に理事会の決議を経て執行していたことは、右判断を左右するものではない。したがって、この点についての被告の主張は失当である。

3  さらに被告らは、懲戒委員会当日の同人らの行動を懲戒理由とするためには、右懲戒委員会に出席していなかった原告の労働組合選出の懲戒委員に対し右事由を明示して委員の招集手続をやり直し、改めて被告両名に弁解の機会を与えなければならなかったのに、これをしなかった点において手続上の瑕疵がある旨主張する。

確かに原告は、被告甲野に対する懲戒委員会の当日である同五六年四月一三日に被告両名が行った前記一9記載の行為を懲戒事由に含めるについては、改めて労働組合に懲戒委員の選出を求めたうえで懲戒委員の招集手続をしたり、被告両名に弁解の機会を与えることはしなかったことが認められる。しかしながら、本件においては、労働組合は原告の依頼にもかかわらず懲戒委員を推薦しておらず、被告両名も労働組合を通じて自己の要求の実現を図ろうとはしていなかったこと、前記一9記載のとおり、懲戒委員会当日の被告両名の行為は懲戒委員会の審議の妨害を意図して行われたものであり、このように、懲戒委員会自体を否定する行為について改めて懲戒委員会の場での弁解の機会を与えることはあまりにも厳格な手続を要求するもので、無意味に近いことに鑑みると、原告が被告主張のような手続を行わなかったとしても手続上の瑕疵があるということはできない。

4  したがって、原告の被告両名に対する各懲戒解雇に、解雇権の濫用があるということはできない。

四  よって、原告の被告両名に対する各懲戒解雇はいずれも有効であるから、原告の本訴請求は理由があるが、被告らの反訴請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官 相良朋紀 裁判官 長谷川誠 阿部正幸)

〈以下省略〉

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